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千葉・青葉の森公園近くで小さなヨガ教室「ギーターヨーガ」を営んでます。http://gitayoga.jp/

2014/12/01

11/5 瞑想WSお便り

2人のFさんよりお便り頂きました。

最近、「恐れ」と「執着を手放す」ことの意味を、身を持って理解することがありました。とても楽に客観視できる時が増えました。

→素晴らしいですね。今度どんな出来事だったのか教えて下さると嬉しいです(^^)

Fさんのお便りにも書いてあったように、今回の詩の「悲しみを破壊する」

その一言に至る過程への理解を深めることがとても大切です。

全ては理解です。

YOGAと瞑想は理解を深める道具となります。

何より理解が大切なのです。

理解をするには、知識の道具である「聖典」が必要です。

私のWSでは、聖典の内容を約20分くらいしかお話することができません。

WSのボリュームで充分であればいいのですが

じっくり理解することを希望するなら、遠慮なくおっしゃって下さい

私の先生をご紹介しますので。


あれが欲しい、こうしたいという思いからの自由、それがシャーンティなのに今度はシャーンティを得たいと思ってしまいます。それって欲求不満だったり迷いがあるからでしょうか?

→ここはとっても重要な話題なのですよ!

私も先生から何度も何度もこの話題についてお話して頂きました。

まず最初に、聖典は「願望を持ってはいけない」と一言も言いません。

「執着を手放す」という言葉は、一見そんな風に受け取られがちな言葉です。

「執着を手放す」とは、「主観的な価値観を手放す」という意味です。

例えば「結婚したい」という願望は健全な願望です。

でも、「結婚しなければ、私の人生終わり」ではその人の主観的考えが含まれています。

同じように「シャーンティを得たい」はとても健全な願望です。

でも「今世でシャーンティ(モークシャ)を得ないと意味がない」は主観的考えが含まれています。

願望を持つことはとても健全で素晴らしいことです。

で、もう1つ!




ギーター第2章 48番目の詩

योगस्थः कुरु कर्माणि सङ्गं त्यक्त्वा धनञ्जय ।
सिद्ध्यसिद्ध्योः समो भूत्वा समत्वं योग उच्यते॥ ४८॥

アルジュナよ。執着を手放して、成功にも失敗にも同じにとどまり
ヨーガにしっかりとどまって行いをしなさい。
考えのこの偏見のない平静さがヨーガと呼ばれます。


この詩は、私がとっても大切にしている詩です。

そして、この詩は「YOGAの定義」です。

ギーターの詩の中にYOGAの定義の詩は3つあります。

私なりにこの詩を説明してみると・・・

「主観的なものの見方を手放して、日々の生活を注意深く、やるべきことを行いなさい。

私の行い(=選択)の結果が良くても、悪くても、ご機嫌に受け入れなさい。

なぜなら行いの結果は、宇宙の法則であるイーシュヴァラが

完全な平等で、個人の私に還してくれる贈り物(プラサーダ)ですから。

運が良いも、悪いもないのです。

個人の私の、今世だけでなく過去世も含めた行いの結果なのです。

だからプラサーダを有難く、ご機嫌な態度で受け取りなさい。

それこそがYOGAですよ。」

いかがですか?

個人の私は結果を出せる人ではなく

ただただ、行い(=選択)ができる人なのです。

私の人生を振り返ってみるとずっと、緊張続きでした。

それは、失敗するのが怖かったからです。

でも、この詩と出会ってから少しずつ変化してきました。

失敗したとしても、これはイーシュヴァラからの贈り物です!

ありがたく受け取ろうと思ったら、変な緊張感はなくなってきました。

私もFさんと同じように、シャーンティを得たいと願っています。

そしてその願望もかなり強いものです!

でも、今世でモークシャがあってもなくても、どちらでもいいと考えてます。

今世でモークシャがなくても来世もありますしね!!

得る得ないの結果ではなく、日々を大切に注意深く過ごしたいです。

この詩にあるように、それこそがYOGAだからです。

分かり辛かったら、またお便りくださいね。

最後までありがとうございました。

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